自省日記

私の内面観察帳。特に意味は無い。

酒を飲みながら書くのはやめます③

そんなこんなで、他大学編入は結局しなかった。当時(1年前)は、それで良かったというか、少なくとも80%くらいは納得していたと思う。

 

ただ、最近になってやっぱり編入しておくべきだったんじゃないかという思いが大きくなりつつある。理由は、大きく2つある。

 

第一に、去年度(つまり2年次)の単位取得数が酷いということだ。流石に、1年次の簡単な教養的授業とは勝手が違い、内容が難しくなりつつある。評価の方法も、テスト1発という授業が多くなってきた。つまり、授業に出席しないと積むということだ。多分、これはどの学部でも同じなんだと思う。中には、授業に全く出席しなくてもテストでそこそこの点数を取り単位を取得してしまうようなツワモノも存在するが、そういう人々は天才であるか友達が滅茶苦茶多いかの2択なので、私には実行不可能である。そして、実際に本気で勉強するとなったら、やはり自分の興味がある分野に行きたいと思うのが人情ではないか。

 

第二に、文学(特に哲学)に対する指向性が最近高まっているということだ。最近、高村友也さんの『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』という

本を読んだ。

 

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)

 

 
これを読んで、私の心の奥深くにある問題意識が浮き彫りになった気がする。以前から哲学は好きだったが、なぜ好きなんだろうということは曖昧なままだった。しかし、この本を読んで自分の自我の強さに気づき、それが原因となって哲学に興味を持っているということがなんとなくわかってきた。

 

まあ、こんなことを考えていても、もう私の3年次編入の時期は終わってしまったのでどうしようもない。わざと留年して3年次編入をするという荒業も使えなくはないのだが、親の脛をかじり続けるものも心ない。あと、大学(学部時代)に必ずしも自分の興味を追究しなくても良い気がしたというのもある。そもそも、大学は本心から入りたくて入ったものではなかった。就職に有利だから、モラトリアムが欲しいという理由で入ったのだった。だったら、元々動機は不純なのだから、実際の興味分野が不純なままでも良いのではないか。もともと中身がグチャグチャの鞄なんだから、そこに入れるものも適当にグチャグチャに入れれば良い。そんな感じだ。

 

酒を飲みながら書くもとい酒を飲みながら書くのはやめますシリーズは以上だ。書いていて非常に心がえぐられるが、書かないと前に進めない気がするので書いた。ただ、まだ完全に消化しきれた気分ではない。追記するか、また新しく記事を書くことにはなりそうだ。

酒を飲みながら書くのはやめます②

飲酒しながら書くと、なんか集中できるようで集中できない。頭と体がふわふわしているせいで、普段しないブラインドタッチとか無駄にしてしまう。

 

そんな話はいいや。ああ、編入制度を知ったところからですね。

 

経済学部に嫌気がさした私が興味を持ったのは、文学部だ。文学部は、社会学とか地理学とか例外はあるけど、基本的には人間を個々人として扱う学問である。私は、自我が人一倍強く、世間でいう所謂「普通の人間」からは程遠い。なので文学部は、私にとってとてもしっくりくるものだった。

 

「文学部に編入するか…」そう考えはするものの、そんな簡単に編入などできるものではない。1番の障壁は、両親の説得である。と、当時は考えていたが、よくよく考えてみると全然そんなことはない。金銭的には同じ大学に4年間通うのとほとんど変わらない。どちらかというと、問題は単位取得の方である。編入前の大学で取得した単位の一部が、編入後の大学での卒業要件単位として認められなくなってしまう。よって、編入先の大学では、人より3割くらい(だったろうか?記憶が曖昧で…)多くの単位を取らなくてはならなかった。

 

これが私にとって大きなネックとなって、結局編入はせずに元々在籍していた大学にそのまま4年間通うことになった。

 

というのも、私は1年生の間に、ほとんど授業に出席していなかったのだ。周囲から聞こえてくる「授業に出なくても単位が出る説」を都合よく信じてしまい(人間には、自分の都合の良い考えばかりを信じて不都合な考えは無視するという、普遍的悪癖があります)、本当に授業をサボりまくった(課題とかは大体提出しました)。今考えると最低のことをしているのだが、当時は本気だった。働くのが本当に大嫌いだったので、将来働かなくても良い方法を模索していた。それに1日の半分以上を消費していたのだから、本当に呆れたものである。話を戻すが、そうやってギリギリの綱渡りで、ギリギリの単位数を取得していた。

 

要は、大学の授業に出席したくない癖に、他の大学の文学部で勉強したいという矛盾した考えを持っていた。勿論、経済学部と文学部の授業内容は全く異なるのだが、それでも不安感が拭えなかった。「もし文学に興味が持てなかったら?もし授業に出なくても単位が取れる授業が存在しなかったら?」そんな感じで、1年前はすごく非建設的な悩みを抱えていた。

 

To be continued…

酒を飲みながら書く①

こんばんは。ストロングゼロを飲みながら書いています。一時期、虚無の酒として話題になりましたね。人生の嫌なことを忘れるのに、最もコストパフォーマンスが高い酒として有名です。今私が飲んでいるのも、人生がぐちゃぐちゃになりつつあって、そこからの逃避行動というか、そのカオスに身を任せたいからというのがあります。(ちょっとなに言ってるのかわかりませんね。すいません。)

 

私は今、とある大学の経済学部3年に所属している。ただ、学部選びを間違えた気が1年くらい前からしている。

 

入学する前は、漠然と経済に興味があるような気がしていた。テレビや本では、色々な人が経済を論じているが、自分には全然分からない。でも、知っていたらかっこいいだろうなという気持ちがあった。経済は、法律や文学と違い、基本的に日本で学んだものが世界でそのまま通用する。経済を知っていれば、世界を知っていることと同じなのではないか。そんなぶっ飛んだ思想すら持っていたかもしれない。

 

ただ、実際に授業を受けてみると全然そんなことはなかった。色々な理論を学ぶのだが、「それ実務的に使えるの?」と思わずにはいられないものばかりだった。何より耐えられないというか、違和感を感じるのは次のことだった。経済学では、人間は基本的に無個性で利益を追求することに特化した存在として扱われる。そんな、無機質な存在に成り下がった人間をプレイヤーとしたゲームの攻略を学んでいても、ちっとも面白いと思えなかった。「俺は人生面白おかしく生きていきたいんだ!こんな理論に当てはめて経済活動をしていくだけのゾンビになるもんか!」そんな感情だったと思う。まあ、括弧内の感情は流石に言いすぎというか素人考えだなあとは思うが、それでも今まで基本的な考え方は変わっていない。

 

あと、クレカと私のマネーライフ - 便利情報大全でも書いたが、幼少期からのお金に対する恐怖心の存在が大きいことも経済学に対する興味を削いでいる感じがしている。

 

転機は、大学1年生の春休みだった。大学の編入制度というものを知ったのだ。

 

To be continued…

1日の序盤を浪費してしまう

また近況的なことで恐縮だが、書きたくなったので書く。最近は、大学が春休みで授業がないので、大変自由な生活を送っている。ただ、自由な中にも、自分なりの規律がないと本当に快適というか気分の良い生活を送ることはできないと感じている。

 

最近の私の悪癖は、1日の序盤(朝7時から昼12時くらい)を浪費してしまうことだ。最近は、エスタロンモカを寝起きに即飲むことで、早起きを実現しつつある。まあ、まだ2度寝してしまうことは多いですが、なんとかやっていけそうな予感はある。(ちなみに、生と死 - 便利情報大全でも少し触れましたが、パンセダンのおかげで寝付きも大変良くなっています。また改めてレビューします。)ただ、せっかく早起きをしても、その後かなり長い時間ぼーっとしてしまうのだ。

 

原因は、考えられる限り2つある。

 

まず、私には風呂を夜に入る習慣がない。翌日の朝のパフォーマンスの低さを考えるに、私は絶対前日の夜に入浴を済ませておくべき人間である。ただ、今までが今までなので、夜に風呂に入るのをかなり面倒に思ってしまう。直観的には、夜に風呂に入ることを習慣づけて、入浴に必要な心理的コストを限りなくゼロに近づけるしかないのだとは思う。帰宅してから即風呂に入ることを強制的にするか…。(今思いつきました)実際、帰ってからすぐ入る風呂って気持ちいいですよね。ただその場合、浴槽には漬かりたいので、水道代・ガス代は高くなってしまう。今までの月の水道代・ガス代をそれぞれ2500円・2500円とするとそれぞれ500~1000円くらい高くなる感じだろうか。まあ、それぐらいの出費の増加なら割に合っているかもしれない。うん、そうしよう。


【追記】やっぱり、帰ってきてすぐは足が痛いので、足の痛みがひき次第すぐということにします。その間に、翌日の服を用意しとけば良いかな。あと、考え事してしまって寝れない時は素直にすぐパンセダン飲もう。朝のコーヒーは、飲みたくない時は飲まなくて良い。

 

次の原因として、タスクに向かう前にダラダラしてしまうことが挙げられる。(というか、原因になってない気が…。まあいいや。許してください。)私は、低血圧のせいだかなんだか知らないが、寝起きの悪さなら全国大会に出場不可避なレベルで寝起きが悪い。(でも、ホテルとかの自宅以外の場所だと、滅茶苦茶寝起き良いんだよな。多分、他人の気配が周りにする場所だと、本能的に生命の危険を感じて自宅ほど熟睡しないのだと思う。まあ、私、基本的に人間を信頼していませんし。)そのせいか(いや根本的に寝起きが悪いせいで)、ベッドから出た後も何もやる気が起きない。朝ごはんを食べたり、顔を洗ったりしなくちゃいけないのはわかっているけど、本当にやる気が起きないし体も動かない。ひたすら虚脱状態でネットサーフィンをしたりYouTubeを見続けたりしてしまう。(特に、前日に入浴をしていないときは「入浴する」というタスクが上乗せされるので、虚脱状態が酷くなる。)普段はある程度の時間で何とか区切りをつけて作業に向かうことができるが、酷い日は本当に酷い。5時間ぐらい平気でドブに捨ててしまう。ちなみに私は、時間を無駄遣いすることには比較的肯定的ではあるが、それは自分でメタ認知できている状況下のみでの話である。つまり、「これからダラダラするぞー」という自分の気持ちなしにダラダラすることには否定的である。

 

ああ、すごく長々と書いたけど、この原因にはどうやって対処したら良いんだろうか。これも入浴の話と同様に、習慣づけでどうにかすべき問題だというのは直観的に分かる。あとは、そこに少しでも自分が楽しいと思えるような要素をプラスすることが必要だろう。起きて即散歩に行くとかカフェに行くとかは不可能だ。外に行くのは私にとってハードルが高すぎる。布団に戻って2度寝することも防ぎたいので、着替えからのコーヒーが最適解だろうか。着替えだが、寝起きにすぐ着替えると何故か焦りが生じて目が覚める気がする。(多分、小・中・高で親に叩き起こされて即着替えていた時の名残です。)歯磨きと洗顔もすべきだろうけど、やったところで2度寝できるので後回し安定だ。最悪、カバンに歯磨きセットとフェイスタオルをぶち込んでおいて、外出時に必要に迫られてやれば良いだろう。そのぐらい私は重症なのだ。

 

原因2つは以上だ。とにかく、寝る前と起きた後の習慣づけをする、そこにできればささやかな楽しみポイントを加えるとなお良いという感じだろうか。ただ、習慣づけは有用ではあると思う一方、習慣づけによって日常が腐敗してしまわないかという不安感はある。習慣づけられた生活を送っているふとした瞬間に、「こんな人生クソだ!あああああ!全てを捨てて旅に出たい!」となるアレだ。でも、未来のことは分からない。一方で、習慣づけしてない人生を今クソだと思ってるのは、紛れも無い事実だ。なら、「クソだ」と思った時に考えればいいや。私の頭は、未来予知できるほどハイスペックではないのだ。

 

本編はここまでです。本当に、こういう他人にはどうでも良い事項をああでもないこうでもないと考えて文字に起こす能力に関しては、私は無駄に才能に満ち溢れているなと感じる。あと、さっき気づいたけど、この前の近況 - 便利情報大全にも習慣づけの似たような話書いてるじゃないか。ある作家の小説を沢山読んで、「どれも同じこと書いているな、少しは違う面白いこと書けよ」と生意気にも思ったことがある私だが、私も人のことは言えない。反省している。

他人が怖い①

私は、生まれてから(一部の期間を除き)他人との関わりを極力避けてきた人間だ。幼稚園の時は友達が1人もいた記憶がない。小学校~高1くらいまでは、一応話す人はいたが、本当の意味での「友達」とは思えなかったし多分向こうも同様の感想だろう。高2~現在までは、一応話す人間すらいない。(家族とは普通に話すし、一応「親友」だと思っている奴は片手で数えられる程度はいるが。)

 

とにかく、他人に話しかけるのに躊躇してしまう。普通の人達は何のためらいもなく他人に話しかけることができるが、残念ながら私はそういうことができない。話しかけられた側がどういう気持ちになってどういう返答をしてくるのかいちいち気にしてしまう。例えば、大学の教務の窓口で何かの書類を貰うという簡単な出来事に対してさえだ。どういうことをどういう順序で話すか考えて(そんなのは適当で良いんだけど)現実逃避をし、話しかけるのを先送りにしてしまう。他人に話かけるには、勇気という名のエネルギーが必要だ。一般人はそのエネルギー消費が限りなくゼロに近くて済むけれど、私は常人の少なくとも5倍くらいはエネルギーを消費してしまう気がする。

 

あと逆の立場の話だが、急に話かけられるのも嫌いだ。特に、何かの作業に没頭しているときに話しかけられると、混じりけのない殺意が芽生える。作業していない時でも、人間と会話するのにはエネルギー(ここでは勇気的な意味ではなく、返答を頭フル回転で考えるという意味で)が必要なのだから、なるべく話かけないで欲しい。事務的な連絡とかどうしても必須の連絡だけは仕方ないけど、それもLINEとかの文字媒体で全て済ませてほしい。会話というのは私に言わせれば早押しクイズであり、相当な頭の回転を要求されるゲームである。文字媒体なら、制限時間無しでじっくりとクイズに挑むことができる。

 

ただ、私も好きでこういう性質の人間になっている訳ではない。慎重に話すことは社会において重要なスキルではあるが、慎重すぎるのも考え物だ。こういう風に、他人にあまり話しかけない人間には、周囲の人間も段々と声を掛けなくなる。そうなると事態は悲惨だ。大学や会社において、明文化されていない重要な情報が手に入らなくなったり、他者のちょっとした意地悪で嫌な気分になったりする。確かに、一番根本的な所では大人数で群れて会話をすることのどこが楽しいんだとは思っている。実際、クソクソ&クソだと思っている(個人的な意見です)。ただ、この資本主義社会において経済的利益を追求するとなると、群れていた(群れるふりをした)方が得な場合が結構ある。

 

また、他人が大人数で群れていると、起こさなくてよい敵愾心を募らせてしまいがちだ。他人のことを深く知ろうともせずに、その人の考えや行動に全面的に否定的になってしまう。(例えば、公共の場でいちゃつくカップルに対する「死ね死ね死ね」という感情です。本当は2人ともイエス・キリスト並みの聖人かもしれない。)あと、自分の考えとかアイデアに対して過剰な自信を持ってしまうことにもなるので良くない。まるで自分だけが世界の真理を知ったような気分になって、躁状態になり寝られず徹夜、生活習慣が崩壊するというのが私のパターンです。

 

書いていて疲れる。
まだまだ書きたいことはあるが、ちょっと長くなりすぎる気がするので①②…のn本立てにしようと思う。多分割とすぐに②書くと思います。次回もよろしくお願いします。

近況

つい2、3日前まで昼夜逆転生活でした。これが本当につらい。まず、起きた瞬間から何もやる気が起きなくて、ひたすら5時間くらいYoutubeを見続けてしまったりする。その後、何とか体を引きずって風呂に入るんだけど、昼行生活の時と違って浴槽の中にいても良いアイデアが浮かばない。ある程度(12時間くらい?)起きていると無限に腹が減るし、かといって食べ物を口にしてもあまりおいしく感じない。とにかく生き地獄という感じである。

 

最近は、寝る時間が早いという点を除けば昼夜逆転生活は治りつつある。ただ、後遺症なのか作業をする気があまりしない。特に、掃除とか風呂とか、動作を伴う類のものは本当にやる気がしない。鬱なんじゃないかという気がしないでもないくらいだ。本を読むとか文字を書くみたいなあまり動作性が高くない作業なら近所のカフェにでも行けばやる気が出てくるんだけど、掃除や風呂はそうもいかない。どうしたものだろうか。

 

今、ふと思いついたけど、作業がうまくいっている時期には生活にある一定のパターンがあるかもしれない。まず、朝起きたら速攻で風呂に入り近所のカフェに行く。そして適当に4時間くらい作業したら、買い物をしながら帰宅する。その後、1時間くらいアニメでも見ながら食事をする。後は、ひたすら作業の時間だ。大体40~90分くらいで集中が切れるので、そのタイミングで10分くらいTwitterをしたり20分アニメを見たりする。寝る1~3時間くらい前までそのループを繰り返す。作業終了後は、酒でも飲みながら映画を1本見たりゲームをしたりして過ごす。後は7時間半から9時間寝る。

 

大体こんな感じな気がする。ちなみに大学がある時期は、カフェの前に大学に行くことになる。今日ももう夕方だけど、このループにはめて人生やり直していけたらいいな。やっていくか。でも、このループでできるタスクは動作性低いものに限るんだよなあ…。

 

自分には、掃除とかゴミ捨てとか本当に向いていない。なんというか、人生においてやる意義を全く感じない。やりたくないやりたくないやりたくない。だって、本読んでたり文章書いてた方が圧倒的に楽しくないですか?でもある程度はやらないと人生が楽しくなくなる。心が荒ぶ。はあ、やるか…。

 

まあ、なるべく家事をしないで済むテクニック的なことだけは身に着けたいと思っている。そのテクニックさえ身に着けていれば他に何もしなくてもなんとか生活が破綻しないくらいのアレは。それ以上は、よっぽど気が向いたときにやるか生活が破綻する寸前にやるしかないのだろうという感じがする。