自省日記

私の内面観察帳。特に意味は無い。

思考を整理する①

またまた久しぶりである。最近はリアルの方が忙しくてブログを書く時間が取れなかった。忙しいだけでなくて、結構充実した日々を送っていた。

 

もう賢明な読者の方ならお気づきだろうが、リアルがうまくいかないので、今ブログを書いている。もはやブログは、私にとっての精神科医である。何回か前にも書いた気がするが、ブログを書くことで、自分の中でこんがらがっている思考をシンプルに解きほぐすのだ。

 

さあ、やっていこう。私が今考えていることが脈絡もなく書き連ねられるが、そういうものだと思って見守っていてほしい。

 

私ももう3回生である。そろそろ就職だとか進学だとか、そういう進路のことについて考えなければならない。

 

今まで、進路について本当に多くのことを考えてきた(つもりだ)。

 

大学の他の人達は、サークルだとかバイトだとか、そういうことを1回生の時から自然としている。しかし、自分には、そのことが不自然でならなかった。将来の仕事だとか金銭獲得手段だとか、そういうことばかり考えてしまって、サークルもバイトもしてこない人生を送った。そのかわり、人生の意義だとか働き方だとか、そういうことに関しては常人の何倍も考え続けている。

 

株式投資やFXだとか、絵を書くだとか、小説家だとか、山奥に隠遁するだとか。本当に多くの道を考えてきた。特に、小説家になる道はかなり真剣に考えていて、その道に関する書籍を10冊以上読み漁った。

 

が、全てダメであった。小説家に関していうと、ある時、そもそも自分はお金が欲しいだけであって、本当は小説が好きなのではないということを悟ってしまった。他の道についても、全て同様であった。自分は(とりあえず今のところは)、本当に好きでそれ自体で生計を立てられる技能を持っていない。

 

そのことを認めることは、全くショックがない訳ではなかったけど、むしろ清々しい気分であった。

 

自分も、世間の大半の人たちと同じように、働くんだ。嫌だな。でも、自分の考え方次第でなんとかなるかもしれないな。

 

そんな感じの気分だったと思う。そして、時間が経つにつれて、やっと、長い人生の大半を占める働く期間についての自分なりの思想を持てたんだ。』みたいなかなりポジティブな思考回路になった。

 

ただ、また1つの問題が生じてきた。私の対人能力の恐ろしき低さである。私は、気を許した仲間にはかなり饒舌に話すことができる。ただ、あまり親しくない仲の人間とのコミュニケーションになると、いわゆるコミュ症を発症してしまうというかうまくいかない。

 

とにかく、対人関係が苦痛なのだ。最近、大学でゼミが始まったので、試行錯誤してどうにかやっていこうとしてはいるが、正直心理的負担が大きい。ゼミの最中に頭の中が「ワー」となってしまうのはともかく、家やカフェで作業しているときにもゼミでの会話で上手くいかなかった部分を思い出して「ギャー」と叫んでしまう。

 

他人と仕事をする上で、こういう私は果たして耐えられるのだろうか。解決するには、自分の気持ち次第であるということは直観的に分かるけれど、どうしても「ワー」「ギャー」となってしまうのだ。それは避けられようがない。

 

問題はもう1つある。私の学習能力の低さだ。

 

私は、英語とかの語学は比較的得意で、自分なりの勉強のやり方を確立している。しかし、ミクロ経済学だとか統計学だとかの、人文社会科学的な科目についての勉強法を確立できていない。まあ、正直あまり興味が高くないという問題もあるが、ここでは一旦置いておこう。

 

とにかく、どうやって勉強して良いかわからないのだ。授業を聞いていても理解できない。授業に出ずに自分で自習するにしても、全く頭に入ってこない。

 

まず、ノートをとる習慣をつけることが大事だということには気づけた。特に理数系の科目にノートなしで挑むことは自殺行為に等しい。ただ、残りのことはどうしようもないという感じだ。

 

同様に、仕事をするにしても、仕事内容を覚えてきちんと実行できるのだろうか。正直、不安な気持ちが大きい。

 

多分、1度型を覚えてしまえば、私は(自分で言うのもアレだが)結構優秀だと思う。ただ、1度も型を確立できないと、悲惨なことになり平均をはるかに下回るという感じだ。

 

とりあえず、ここまで。多分、すぐにまた記事を書きます。まだ頭の中でモヤモヤしていることがありますので。