自省日記

私の内面観察帳。特に意味は無い。

生と死

こんばんは。なんか今日はだるさがすごい一日でした。

 

昨日の夜からだろうか、ひたすら死にたい死にたいという気分になった。特に理由はないんだけど、たまにこういう感情になることがある。こういう希死念慮を振り払うにはどうすれば良いんだろうか。いろいろググると、たくさん民間療法的なものは出てくるんだけど、どれも決定打に欠けるように見えた。最終的には、薬(鎮静剤とか)に頼るしかないんじゃないかという結論に至った。私が購入したのは、↓コレ

 

 

【第2類医薬品】パンセダン 24錠

【第2類医薬品】パンセダン 24錠

 

 

 

本来は、寝つきの悪さを改善するための睡眠導入剤的な使い方を想定してamazonのほしいものリストにぶち込んであったんだけど、気分を落ち着かせるためにも使えるかなという感じがしたので購入することにした。まだ届いていないけど、届いたらレビューしてみようかと思う。

 

希死念慮の話に戻ろう。最近は安楽死の問題がホットであるが、死ぬことは悪なのだろうか?その問題に入る前に、まず私なりの生と死の質的比較を述べておきたい。

 

まず、私が生が死より優れている点として、生きていれば生死を認識できるということがあると思う。生きていれば、自分だろうと他人だろうと、その生き物が生きているか死んでいるか判断することができる。これってスゴイことじゃないだろうか。(以下では自分の話に絞る。)自分で今の生きているという状態を認知し、1秒後に生きるか死ぬかを判断することができる。そういう意味で、今の自分は確かに生きているが、それ以上に生とか死を超越した存在なのだと思う。

 

もしかしたら死んでいても、魂とか呼ばれるものとかに意識は存在して、生死を認識できるのかもしれない。ただ、残念ながらそれは死んでみるまで分からない。

 

あと、仮に自分が死んでいるという状態を認識できたとしても、1秒後に生きることを選択することはできない可能性がある。人間の体は沢山の原子からできているが、その元を辿れば父親と母親が元から保有していた原子や、彼らが口にしたものだ。それらが天文学的な確率で組み合わさって、人間の体は形成されている。そこに、魂という存在が介入できる余地はあるかどうか確証はない。もしかしたら神が存在して、精子卵子が結合した瞬間に、ランダムにそこら中にプカプカ浮いている魂から意識を引っ張ってくるのかもしれないけど。

 

まあ、とにかく、死は生よりもリスクが高いのである。そういう意味で、私はどんな状況だろうと生きていた方が得なんじゃないかと思っている。

 

まあ、こう言えるのは、私がまだ20代の若者だからだというのが大きいかもしれない。高齢になってガンなどの重い病気にかかったら、治療が辛くなって、死のリスクを負ってでも楽になりたいと思うのかもしれない。そういう点で、安楽死を希望される人が存在すること自体は大いに理解できる。ここで、闘病に苦しんでいるとしても最後まで頑張るべきだみたいな意見の人もいるかもしれないが、私たちはおそらく自分の自由意思に則ってはこの世に生まれてきていまい。自分で確固たる死ぬ意志を持っているのならば、死ぬタイミングくらいは、死ぬ本人が決定してもバチは当たらないと思う。

 

ただ、自分が希望していないのに死を選ばざるを得ない人々の死については、正直わからない。典型的なのは、学校でのイジメが原因で自殺してしまう子供や、過労で心を病んで自殺してしまう労働者だろうか。彼らも、99%死にたいと思っていても心の奥底1%では生きたいと思っている。それは多分事実だ。ただ、余りに人生に絶望するあまり冷静な判断力が失われて、それを100%であると誤解してしまう。そして、死ぬ以外の選択肢を失い自殺してしまう。彼らに、彼らが本当は心の奥底では生きたいと思っていることを自覚させてあげられる人がいればラッキーだが、必ずしも存在するとは限らないし、説得したところで結局考えが変わらないことも考えられる。なにより、そこまで追い詰められて自殺を本格的に考えているという事実が存在するのだから。そんな人生に疲れ切ってしまった人間を、どうやって他人が変えられようか。