自省日記

私の内面観察帳。特に意味は無い。

遺書を書いておくべきだと思った

ブログを書きたいと思う時はあるものの、いざパソコンを前にすると言葉に詰まる。なんとかならないだろうか。

 

とにかく(今こそマシになったものの)私は病んでいる。少なくともその辺を歩いている一般人よりはそうだと思う。まともにできなかったことは沢山ある。洗濯、歯磨き、入浴、ゴミ捨て…。ひどい時は丸々3日シャワーすら浴びれなかった。

 

一時期は、安楽死をしたいとすら考えていた。人生つらいことが多すぎる。楽しいことも無いわけではないが、あまりつらい時間が長い。せいぜい楽しい:つらい=2:8くらいじゃないだろうか。つらいことの方が割合が大きいなら、生きるより死んだ方が得な気がした。

 

先に書いた通り今はマシになりつつあるが、それでも人生にそこまで生きる価値は見い出せないというのが正直なところだ。いざとなったら死んでしまいたい。一番ひどい時は、自殺サイト巡りをしてどの死に方が良いか具体的に考えていた。(その方法を書くのは、将来の自分にとって良くないと思うので書きませんが。)

 

そして、死というものが案外身近なものである(少なくともなり得る)ことに気が付いた。あるサイトに、病んでる人の「死にたい」という気持ちは「唐揚げ食べたい」と似た気持ちだと書いてあったけど、まさにその通りだと思う。

 

突発的に死ぬのは嫌だけど、自分で自分を殺めてしまう可能性がゼロであるとは言い切れない。そこで、私は遺書を書いておくべきだいう風に思ったのである。(ちなみに、計画的な安楽死の場合も含む。)

 

遺書といっても何を書けばいいのかは良く分からない。ただ、私なりに1つ思っていることがあって、それは心の底から自由に思ったことを書けるということである。

死んだら、誰が私の遺体を発見するのかなんて知ったことじゃない。誰が私の部屋の掃除をするのかだって知ったことじゃない。誰が私の葬儀に出席するかだって知ったことじゃない。

 

それと同じで、遺書に書いた私の心ない言葉で誰が傷つこうが知ったことじゃない。

 

この世は、私みたいなダメ人間には少し厳しすぎる。もちろん、生活保護とか色々な社会的救済制度があったりすることは理解しているけれど、そういうのを細かく理解するのもめんどくさい。根本的に生きるモチベーションが低い。

 

だから、多少暴言を吐いても許してほしい。対面で言わないだけ優しいと思ってくれ。

 

そもそも、なんで私は生まれてきたんだろう。理由なんてないのはわかっている。宇宙から見たら、私の存在なんて無に近似できる。

 

ただ、やっぱり私が(主観的にせよ)つらいのには間違いない。

 

せめて、生まれる前に私自身に生まれるか否かの決定権が欲しい。その時なら、人生の面倒くささを知らないから生まれることを選択するかもしれない。ただ、今の私が精子卵子に記憶を持ったまま戻れるなら間違いなく生まれないことを選ぶ。少しタイムスリップして他の精子卵子を譲ってやり、私は時間経過で精子のまま死ぬ。

 

難しい。初期難易度ならプレイすることを選んでしまうのに、プレイしていくと難易度が上昇していくことは、しばらくプレイしてからでないと分からない。

 

やっぱり、死ぬしかないんだろうか。難易度の上昇に楽々順応できるような人間だったら良かったんだけど。

 

でも、その死ぬ時である「いつか」はいつか分からない。だから、我々は書いておくしかないのだろう、自分の正直な思いを代弁してくれる遺書を。