自省日記

私の内面観察帳。特に意味は無い。

思考を整理する②

連投となる。前回の記事を眺めていて今思ったが、多分私にとって深刻なのは、対人関係よりも学習能力の低さだ。対人関係は正直ある程度雑でも良いが、学習能力が低いのは私の個人的な不利益に繋がるので(分かりにくい表現ですいません)。

 

今回の主題は、公認会計士だ。実は私、ある時期に公認会計士試験の勉強をしていた時期がある。とはいっても、自発的に始めたものではないが。

 

というのも、私の親に半ばやらされる形で始めたのである。

 

私は、大学1回生までは授業にきちんと出席していたものの、特に他に何をするでもなくダラダラと過ごしていた。今思い出す限りだと、ゲームをしたりYoutubeを見たりといったことをしていたと思う。それは、それなりに楽しい日々ではあったけど、将来性に欠けるというか、就職という一種の不安材料を誤魔化している部分もあると感じていた。

 

また、前回書いたように、サークルやバイトも一切していなかった。そのことは、私の親も知っていた。

 

そこで、親の口出しが始まるわけだ。『資格試験の勉強をするかバイトをしろ、さもなくば仕送りを停止する』、そんな内容のことを親に電話口で言われた。バイトをしていなかったのは確かに私にもある程度の非はあるが、私は遊びに金をかけたりするタチではなかったので正直納得いかなかった。今考えれば、いわゆる毒親なのだろうが、当時そんなことを思いつくでもなく親の要求を飲んで資格試験の勉強をすることになった。

 

そこで色々調べた結果、たどり着いたのが、公認会計士試験である。というか、そもそもやる気がなかったので、知っている難関資格(と呼ばれているもの)である弁護士と公認会計士で選んだだけだった。

 

当時1回生の時、法律の勉強も教養の授業である程度したが、勉強法がよくわからずに撃沈したため消去法で公認会計士を選んだ(はずだ)。(なにせ記憶が曖昧なもので…)

 

そんなこんなで、私の公認会計士試験の勉強が始まったわけだ。

 

某有名資格学校に申し込んだ。確か60~70万円くらいして、高いと思ったのは覚えている。(今思うと、自分は本当に金銭的には恵まれている。)

 

最初は、簿記3級の授業から始まった。最初の内は、結構楽しかった。でも、内容そのものを楽しいと思っていたのではなくて、ゲーム的な楽しさだった。でも、段々と辛くなってきた。多分、無理しすぎたんだと思う。私のキャパシティを超える勉強量を自分に課してしまったのだ。

 

要は、法律の勉強と同じように、自分なりの勉強法を確立できなかったのだ。当時は、自分の進む道を制限されたとか思って、親のことを一方的に恨んでいたけれど、それは今思うとお門違いだ。確かに、仕送り停止とかは酷いと思うけれど、それでも自分が納得しての会計士受験だった。自分が会計士になって東京でバリバリ働いて都心に住んでプライベートもバリバリやっていくぞ、みたいなポジティブな考えも持っていた。

 

自分が勉強法を確立できないという問題を、親のせいにしていたのだ。今思うと、なんとも情けない気分になるのだが、それでも当時は必死に考えていた。

 

結局、去年の夏くらいに耐え切れなくなって、会計士受験は諦めてしまった。

 

それから約10カ月経った。色々考えた。そして、ふと悟ったことが2つある。それは次の2つだ。

 

①自分の人生で最も重要なことは、心の安らぎであるということ
②自分の感情や思考を1段高い視点で俯瞰すること

 

①は、自分の部屋の大掃除をした後にふと思ったことだ。それまではとても汚くて普通に住んでいるだけでも心が荒んでしまうような部屋に住んでいた。しかし、部屋が綺麗になると心も綺麗になるのだろうか。毎日美味しいご飯を食べる、毎日暖かい布団で寝る、そんなことですら幸せなのだと感じた。これ以上何を望もうか。そんな気分になった。

 

②は、前々から思っていたことではあるが、やはり重要なので書く。毎日生活していると、上手くいかないこともあるだろう。しかし、そんな時でも腐らずに、「この気分の悪さが永遠と続く訳ではない」「明日になれば違う思考が生まれる」という風にポジティブとは行かないまでも思考を必要以上にネガティブにしないくらいのことはできると思う。

 

長くなってきたので、1回仕切り直します。次に続く。